【取材記】総選挙中止を訴え 在日ビルマ人がデモ行進

2010年9月21日

 在日ビルマ人らおよそ500人が18日、都内で集会を開き、ビルマ軍事政権が11月7日に実施する予定の総選挙は、不当であり、非民主的だとして、中止するよう訴えた。
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参加者らは、JR恵比寿駅近くの公園から、民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんの写真を掲げながら、「日本政府と日本国民の皆さん、ビルマ軍事政権が強行する不当な総選挙を認めないでください」と声を上げ、JR千駄ヶ谷駅近くの公園までデモ行進した。
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参加した在日ビルマ人のタン・スエさんは、「総選挙を国民は認めない。なぜなら、総選挙は、軍事政権のための選挙であり、国民のための選挙ではないからだ」と話した。
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ビルマの総選挙管理委員会は20日、アウン・サン・ス・チーさんを有権者名簿から除外した。
これにより、スー・チーさんは総選挙に立候補できないだけでなく、投票もできないことになった。
2010/9/21 APF NEWS

【ご案内】日刊サイゾーに長井健司記者・追悼イベント 関連記事

2010年9月21日

(以下、日刊サイゾーより転載)
悲劇の銃撃事件から3年……追悼展示&トークショー開催
ミャンマーで殉職した長井健司さんの追悼イベント開催 
話題のジャーナリストも続々登場

 2007年9月27日、ミャンマーでの反政府デモを取材中に、軍の兵士に銃撃されて亡くなった長井健司さん。銃弾に倒れてもなお、取材中のビデオカメラを握り締めていた壮絶な映像は、今でも多くの人の記憶の中にあることだろう。あれから3年がたった今でも、事件の真相は明らかにされず、ビデオカメラも返却されていない――。
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 その長井さんを追悼し、事件を風化させず、また命に代えてでも果たせなければならなかったジャーナリズムの意義を再確認してもらうべく、長井さんが所属していた独立系ニュース通信社・APF通信社が、「追悼・長井健司記者 映像・遺品展&トークショー」を10月1~3日に開催する。長井さんが遺した取材映像や遺品などを展示する予定だ。また、最終日の3日には戦場ジャーナリストの渡部陽一氏のトークショーも行われる。
 同イベントに関して、APF通信社は「『誰も行かないところに、誰かが行かねばならない』が口癖だった長井記者。その徹底した現場主義に基づく取材は、世の中に多くの真実を伝え、時に多くの命を救ってきました。本展を通して、『長井記者が伝えたかったこと』をもう一 度振り返り、『報道の使命とは何か』を社会全体に問い直す機会となることを願っています」とコメント。
 これに先駆け、命日である9月27日には、先日までアフガニスタンで拘束されていたジャーナリストの常岡浩介さんと、2004年にイラク戦争取材中に拘束された経験を持つフォトジャーナリストの郡山総一郎さんを迎えてのトークショーが行われる。テーマは「報道の使命とは ~長井健司記者が伝えかったこと~」。
 長井さん同様、命がけで最前線で取材する男たちの生の声を聞く、貴重な機会となるだろう。
(転載終了)
日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2010/09/post_5507.html

【追悼記事】長井健司アーカイブ「家に灯った原爆の火」

2010年9月17日

「家に灯った原爆の火」 
取材・撮影・編集・ナレーション/長井健司記者

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8月6日の原爆投下直後、親戚の安否を尋ね広島の市街地に入り、
地獄絵の中を探し歩いた元日本兵・山本達雄さん
山本さんの叔父を焼き殺し、広島を地獄図と化した原爆の火
それは恨みの火であったという
その山本達雄さんが2004年5月、他界した
長井記者が、山本さんが亡くなる3年前に取材し、編集した「家に灯った原爆の火」 
山本さんがありのまま語ったその稀有な原爆体験を紹介する

「家に灯った原爆の火」 
取材・撮影・編集・ナレーション/長井健司記者

【追悼記事】長井健司記者とフォークデュオ「ふたり」

2010年9月17日

昨年4月に発売されたCD「二宮町」に収録された「君への手紙」は、長井健司記者の生きざまに感化された若者が、長井記者のことを思い詩にした曲
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ふたり「二宮町」
若者とは、インディーズのフォークデュオ「ふたり」のメンバー、石崎紀彦さんと小沼卓郎さん
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ふたり
「ふたり」はこれまで、ライブ会場や自らが街頭に立ち、長井記者の殺害に抗議する署名集めを行ってきた
参考URL:ブログ「君への手紙」
http://blog.goo.ne.jp/futari-letter
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石崎紀彦さん Vo.AG
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小沼卓郎さん Vo.AG.Hp
長井記者の言葉、『誰も行かなければ、誰かが行かねばならない』
「ふたり」小沼卓郎さんの言葉、『変えようと口にすれば、もし変えたいと願うなら、時計の針は動き出します』
長井記者の伝えたかったこと・・湘南発の若者ふたりが引き継ぐ
参考URL:ふたりのオフィシャルサイト「二人 futari」
http://www.futari2.com/futari/

【追悼記事】『ふるさと』『ヤキイモの詩』 作詞・長井健司

2010年9月16日

「誰も行かないところに、誰かが行かねばならない」が口癖だった長井健司記者の夢
それは“歌手デビュー”だった・・
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(大学時代のコンサート会場にて)
中学時代からギブソンを片手に作詞・作曲も手掛けた
卒業時、長井記者が同級生に宛てた一文にはこんな記述が・・
「人は、声をはりあげ絶叫する時があっていいと思うんです。
人は、気分よくうたっている時がいちばんの自由です」
※原文ママ
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(2007年9月、タイにて)
「俺の曲は絶対に売れる!」
40代半ばを過ぎて尚、歌手デビューを諦めてはいなかった長井記者
ここに長井記者が作詞した『ふるさと』と『ヤキイモ』を紹介します
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『ふるさと』

ふるさと想う こころは同じ
語り明かせば 泣けてくる
強がり言っても 一人で泣いた
熱い涙が しみる夜


帰ってゆける ふるさとは
遠きにありて 想うものと
ふるさとあれど 帰れないのは
振り切れぬ思いがあったから
裏切れなかったあの娘(こ)だから
後ろ姿に別れを言う
これ以上 もう会ってはだめだ
余計に別れが辛くなる


ふるさとに似た なつかしさだけ
思い出させてくれた娘(ひと)
恋人に似た ふたりだったけど
二度と寄り添わぬ ふたつの影
恋人に似た 白い雪の世界
せつない雪が 降り止まぬ

※原文ママ
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『ヤキイモの詩』
※サビ
焼きたての ホカホカの
ホクホク食べる ヤキイモだい
ヤキイモの 安売りの
おいちゃん来るの 待ってたんだよ
ヤキイモのおいちゃんが 今年もまた来る
街角にひとときの こころのオアシス
「ヤキイモがおいしいよ」って 街角に響く
ふるさとに届くよう 「とうちゃん、元気だ」
だけど 都会では ヤキイモが振り向かれないんだよ~
ほかにオイシイおかしがあって振り向かれないんだよ~
いまの都会じゃ、ふとり過ぎのこどもたちであふれかえる
本当の甘いおやつを 街角のどこかに忘れていやしませんか~

※原文ママ