【APF SP】 原発事故から半年 「いのち」 ~警戒区域の動物たち~

2011年9月7日

東日本大震災による 福島第一原発の放射能漏れで
警戒区域(=同原発から半径20キロ圏内)に取り残された
ペットや家畜たちの様子と
同原発から13キロの距離にある 「希望の牧場(エム牧場)」の牛たちの様子
同牧場では現在、
被ばく家畜の「いのち」を救うプロジェクトが進行中

詳細は「希望の牧場」公式ブログへ

「希望の牧場」公式ブログ

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「希望の牧場 〜ふくしま〜 プロジェクト」事務局
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【APF SP】 第5回 《いつか どこかで》 木野村レポート ~福島第1原発の事故による放射能漏れの脅威にさらされている福島県 vol.2

2011年7月12日


今回の「いつか どこか」 ~sometime somewhere~ は、第4回に引き続き、福島県からの現地報告です。
私は本来、悲しくなる写真は撮らないと決めていました。それにカメラマンとしては、あまりシャッターの数を切らないほうかもしれません。実際の現場でカメラを構えて、ファインダーを覗いたものの、シャッターを押さずにカメラを下ろすことも多々あります。それは、自分の目で直接見るのとファインダー越しに見る映像とで、受ける感覚が変わって見えるからだと思います。それと同じように、被災地などで直接見た現場とテレビなどを通じて伝えられる間接的な現場にも、かなりの違いがあります。
今回の福島取材では、第4回「いつか どこかで」でお伝えしたビックパレットという巨大な避難所の現状を含め、福島第1原発の20キロ圏内に再び入ったこともあり、視界に飛び込んでくるもの全てが本当に衝撃的でした。
今回の現場では、延べ1,000枚以上の写真を撮りましたが、そのうちピントや構図をふまえたうえでボツにした画像を省いても、500枚程の写真がAPF通信社の素材として残っています。またそれと同時に未編集ですが、映像素材も数多く残っています。
今後の「いつか どこかで」は、数回にわたり現場で直接感じたこと、報じられていない現実などを紹介します。また、映像素材を含め現場の状況をより皆様にお伝えできるような新しい方法への移行も企画しております。ご期待下さい!
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まずは、20キロ圏内のある牛舎にいた小さなメスのホルスタイン。母牛が同じ牛舎の中で餓死してしまい、朽ち果てた遺体もそこにあるので、この場所を動こうとしません。外に出たとしても、この場所に戻ってくるのです。牛舎の中の衛生状態は極めて悪く、家畜は移動禁止措置の対象になっているので圏外に連れ出すこともできません。電気が来てないので空調も止まり、水や餌もなく、一体どうやってこの3ヶ月間を過ごしてきたのか、不思議です。のちに畜主さんからの情報で震災直後の14~16日に生まれたことが判明しました。そこで間をとって、15日生まれとし、「いちご」の愛称をもらうことになりました。ちなみに「いちご」は現在→http://ameblo.jp/hari2106/entry-10944724639.html
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自然に居るはずがないので、もともとは家畜だったはずの豚がいました。しかも至るところに。畜主が避難する前に逃がしたのか、誰かが放したのか、自力で脱出したのかは不明。でも、大自然のなかでとても生き生きとしていました。取材車で近づくと、「ブヒブヒ」と近寄ってきます。小さすぎて写真には写っていませんが、草むらの中に小さな子豚もいます。驚いたのは彼らの動きが早いこと早いこと。本当に幸せそうな彼らに数時間後、信じがたい結末が待っていました。詳細は後日・・・。
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南相馬を含め、福島県は和牛の畜産が有名で、写真のような立派な和牛も沢山います。痩せてはいますが、近くでみると本当に凛々しい。当方の取材では、牛だけでも2,000頭近くが、いまだ生きながらえていると聞きました。豚と同じく彼らも動きが速い!田んぼのアゼなども軽々と飛び越えていく姿は実に勇ましい!一見、元気そうですが、牛も豚もひとの手を借りないと、越冬はできないそうです。彼らを何とか助けてあげることはできないものでしょうか。
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ある民家の前に居た五頭の犬。そのなかに片足の無い犬が二頭いました(右端と左端の犬)。どうして片足を失ってしまったのかについて、聞いた話では、「イノシシの罠にかかった」とのこと。しかも、動物病院などで治療してもらったわけではなく、自分で舐めて治したそうです。一番右の犬がボス?という話ですが、遠くが見渡せる場所を陣取り、ボス?は黙って遠くを眺めていました。3月11日までは、それぞれの犬に自分の居場所(家)や家族(飼い主)がいて、普通に暮らしていたのでしょうに。雑誌などでは「野犬化」した犬の話も聞きますが、私が見た犬たちは少し警戒心はあるものの、非常におとなしい犬ばかりでした。
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第2原発近くのガソリンスタンドにいたシェパードのような雑種のような何とも言えない犬。ちょっと強面。最初、取材車に向かって「わっ、人だ!」という感じでしっぽを振りながら近づいてきました。赤い首輪が実に印象的で可愛い。しかしこの犬、奥に写っているもう一頭の犬のことがとても気になるようで、その姿が見えなくなると探しに行き、確認すると安心するのか、こちらへまた戻ってくるの繰り返しでした。APF戦術チームは麻雀が好きなわけではないですが、早く決着をつけたいという意味で、赤い首輪のシェパード?を「ロン」、もう一頭を「ツモ」と名づけました。取材車に積んであったおやつのバームクーヘンを与えると最終的には手から直接食べるまでになりましたが、結局逃げられてしまい、「ロン」は「どろん!?」と改名されました。前回の取材から二週間ぶりでしたが、同じ場所に居たこの二頭。次に行くまで無事であって欲しいと願っています!
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現地にて情報が入り、急遽取材に向かった養豚場で7月3日に生まれた子豚。まだヘソの尾が付いたままの子もいました。畜主さんによれば、豚は3ヶ月と24日で出産にするとのこと。つまり震災があった3月11日の直前に種付けしたことになります。計算するとほぼピッタリ!この後、6日~7日にかけて最後の一匹が出産したとのことで、この畜舎にはこのようなチビ助が現在30匹程います。具体的な大きさは手の平に乗る程度。手前に横たわっているのは母豚です。授乳の真っ最中というかずっとこのままで乳を吸われていました。冒頭に紹介した「イチゴ」にしても、この子豚にしても、生まれた場所がどこであったとしても「新しい命」であることに変わりはありません。「イチゴ」を避難させた牧場を含め、「希望の牧場プロジェクト」を成功させ、ひとつでも多くの「命」を救うことができないものでしょうか・・・。
まとめとして、今回の取材では、偶然にも普段の生活では絶対に見る事が出来ない動物たちの本来の姿に触れることができました。サファリパークなどの作られた自然とも違う、人が消えた街で、家畜やペットが震災後の数ヶ月をほぼ自力で生きているのです。しかし、このままひとが何もしなければ、彼らは最後は飢えて死ぬことになるでしょう。また家畜については殺処分されることもあるでしょう。このような環境下で生きている彼らは、ひとが考え方を変えることで、貴重な検体にも成り得るのではないでしょうか。彼らの「命」を守ることを第一の目的として。だって、口蹄疫や鳥インフルエンザのようにウイルスや菌に感染しているわけではないのだから・・・。20キロ圏内にはペットをはじめとして、多くの家畜たちが今も生存しています。また多くの命がそこある以上、新しい命が誕生しているということも紛れもない事実です。
震災の直接的な被害はもちろん、それ以降に起きた多くの問題で避難民はもちろん農家の人や酪農家が自殺をしています。単純に「苦しかったのだろう」と、想像で片付けるのではなく、震災で生き残った人がなぜ死を選ばなければならなかったのか、生き残ったペットや家畜までもが死んでゆかなければならないのか、もう一度考えることも大切なことではないでしょうか。
みなさんはどう考えますか?ではまた、「いつか どこかで」 ~ sometime somewhere ~
記事・写真/木野村 匡謙( twitter/j_masakane)
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「福島原発20キロ圏内 犬・猫救出プロジェクト」では、寄付金はもとより、
保護犬猫の一時預かりボランティアさん、里親ボランティアさんを募集しています。
ご賛同、ご協力いただける個人・団体・動物病院等の方は是非ご連絡を下さい。
また、フード類やゲージ等の物的支援についても常時募集しております。
〔連絡先〕
関東方面 「救出プロジェクト本部」 hukushima.dog.cat.rescue@gmail.com
中部方面 APF通信社東海支局 kinomura@apfnews.com
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【APF SP】 《特別企画》 『 日笠雅水と山路徹のお悩み相談室 ~第四回~ 』

2011年6月25日


《特別企画》 『 日笠雅水と山路徹のお悩み相談室 ~第四回~ 』

◇◆◇ 内 容 ◇◆◇
“ 当たるだけでなく元気になれる”と人気の手相観・日笠雅水と、世界の紛争地で取材してきたAPF通信社代表・山路徹が、皆さんの仕事や人間関係のお悩みにお答えします。
◇◆◇ 出 演 ◇◆◇
日笠雅水(手相観)
山路 徹(APF通信社代表)
◇◆◇ 配信日時 ◇◆◇
6月25日(土)22時00分~24時00分
「anan特別編集 日笠雅水がレクチャー! 手相BOOK最新版」
「anan特別編集 日笠雅水がレクチャー! 手相BOOK最新版」
◇◆◇ 日笠雅水(ひかさ まさみ)さんのプロフィール ◇◆◇
手相観(てそうみ)。愛称はマーコさん。子ども時代に独学で手相を学び、中3から周囲の人の手相を見ていた。実際に手相観を仕事にするようになったのは35歳のときから。それまでは、大好きな「音楽」を基軸に、細野晴臣さんのマネジャーを経て、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のマネジャーを長くつとめた。その後、フリーの音楽ライター、インタビュアーとなり、3年間の休養期間を経て手相観に。現在は東京・原宿に「テソーミルーム」を開き、予約のとりにくい手相観として多忙な日々を送っている。

【APF SP】 第4回 《いつか どこかで》 木野村レポート ~福島第1原発の事故による放射能漏れの脅威にさらされている福島県

2011年6月25日


今回の「いつか どこかで」~ sometime somewhere ~は、福島第1原発の事故による放射能漏れの脅威にさらされている福島県からの報告です。
今回の目的地である福島県は3月11日の夜以降、この3ヶ月で何度も足を運んだ場所。
深夜に東海支局を出て東京経由で取材車サファリが向かったのは「ビックパレットふくしま」。
http://www.big-palette.jp
福島県浜通り地方の住民が多く避難している施設だ。
(避難者は当初2,000人→現在約800人)
今回の福島取材で何故、この場所を選んだのか?それは、震災発生から100日が過ぎ、日本中の多くの人たちの中で、「震災は過去の出来事」になりつつあるからだ。私の知人たちもワイドショー等から伝えられる断片的な情報を元に、まるで現場を知っているかのような話をする。わずかな情報で多くを知ったようなつもりでいるが、本当はほとんど何も知らないことに気づいていない。多くの被災地では今も、終わりの見えない深刻な現実が続いている。
(いくつかの写真については、プライバシーの保護のため、シャッタースピードを遅くして写真のピントを甘くして撮影しています。)

まず館内に入り、最初に目に飛び込んできたのがこの光景。1階部分の大きな区画にある布で個別に仕切られた居住スペース。表札の代わりに名字が書かれた紙の札がぶら下げてある。奥行き50メートル程の通路が6列ほどあり、その左右に部屋が作られている。高さは約2メートルで広さは約3畳。ここから仕事や学校に通っている人も多くいるという。

室内写真。これでもまだ良いほうだと聞くが、隣の部屋とは90cm程の段ボールと布切れ1枚で仕切られている。天井は無い。整理はされてはいるが、荷物を置き、布団を敷いた状態ではどう考えても狭い。この区画内に部屋を持つ老女の話では、最初は3階に居たが1階に降りてこられたので脚腰が楽になった。ただ、床からの底冷えがあり堪えるとの声も。

写真をよく御覧いただくと解るが、手前から4区画ある。中心の一番大きな区画は2人分のスペースなので写真で見ると割と大きく感じるかも知れないが、それでも6畳間ほどしかない。先日、ワイドショーのコメンテイターが「東北の人は我慢強い。もう少し我慢してもらって・・・」という何とも言えないコメントをしていたが、この状況を知った上で話しているのだろうか?間仕切りに使われている段ボールに日の丸をイメージしてプリントされた「ひとつになってがんばろう日本」という文字。本当に気持ちまでひとつになっているのだろうか?フリをしているだけではないのだろうか?

弓型の壁に対しかまぼこのような形に仕切られた空間。薄いカーテンの右に「対応口」と書かれた札が下がる。玄関をイメージしているのか、その下には、盆栽が置いてある。また写真では端が切れてしまっているが、左奥にある線量計には「毎時0,13マイクロシーベルト」の表示。室内であってもここで24時間過ごせば、1年間の被爆量は1,138マイクロシーベルトとなる。

メインの出入口から管理事務所に向かう通路に面した避難スペース。この区画の中には自販機が2台設置してあり、しかも稼働していた。写真には写らないようにしているがこのスペースの中では、おばあさんが横になって眠っていた。通路を行き交う人から区画内は丸見えなのだ。「ビックパレットふくしま」は、非常に大きなイベント施設ではあるが、僅かな空間であっても活用しなければならないのが現状だ。

取材に行ったその日、東京にある「東京声優プロデュース」という声優養成学校の訓練生たちがボランティアで公演に来ていた。約40人程で関西と関東からの合同チームとのこと。今回の訪問は5月の初めに続き2回目。写真のように子供たちは彼らからベッタリくっついて離れない。「子供たちが少しでも笑顔いられる時間を作りたい」と、前列右の金色のズボンを履いた男性(ノザキレイキさん・21歳)は話していた。
また今回、避難所の人たちから様々な声を聞いた。避難所に残る人からは、「もうちょっと我慢するしかない。出て行くと支援の状況が変わってくる。」「家も仕事も無いので出ろと言われるまではここに居たい。」仮設住宅に当選し、入居が決まった人は、「まわりの人に迷惑をかけられないし、引っ越しは自分でボチボチやっている。仮設に当たった事は嬉しいが正直、不安はある。」また、私の友人で石巻を中心にボランティア活動をしている人が、「5月の連休以降、ボランティアが激減した。それに以前に比べて、受援される側の気持ちもずいぶん変わってきている」という話も聞く。
今回のまとめとして、新聞はもとより、インターネットが発達している今、現場の声を探り、聞く方法はいくらでもある。わずかでも時間があるのなら、現場の人たちの仕事や生活は?子供たちの状況は?動物たちはどうしてる?など、そこに自分が置かれているつもりになって、現場に何が必要なのかを考えてみることも大切なのではないだろうか?目を背けることや見なかったことにすることは簡単だが、本当にそれでよいのだろうか?
みなさんはどう考えますか?  
ではまた、「いつか どこかで」~ sometime somewhere ~
取材日/2011年6月18日
記事・撮影/木野村 匡謙

【APF SP】 第3回 《いつか どこかで》 木野村レポート ~岐阜県岐阜市の中西郷「なかさいごう」

2011年6月15日


今回の「いつか どこかで」~ sometime somewhere ~ は、岐阜県岐阜市の中西郷「なかさいごう(岐阜市の北西部)」にある、板屋川・八王子橋及び八王子神社付近からの報告です。
(今回の写真は、感度を上げて撮影をしており、全体に少し粗くなっています。)

私は、過去にこの近隣に住んでいたことがあり、この場所には何度か来たことがあります。約10年振りにこの場所に立ち、最初に思ったは「ずいぶん景色が変わったな」ということ。
私が知っているこの場所は、川沿いに学校、神社があり、その社を囲むように薄暗い杉林が立ち、あとはわずかな民家、田畑や水田のほか、ホタルが生息するこの板谷川以外には何も無く、本当にほのぼのとした情景が広がっていたはずだったのですが―
着いた時は、まだ空も薄暗い程度で、川のほとりに立ち並ぶ新しい住宅、整備された道路や信号、コンビニもハッキリと確認できたので、正直、「こんなに変わっちゃって、ホタルなんているの?」というのが率直な第一印象でした。
しかし、暗くなるにともない「ホタル」が舞い始めたのです!
最初のうちはわずか数匹だったので、環境が変わると、「この程度かな?」と思っていたのですが、予想に反して沢山出てきました。

さて、そんな中、近くにいた初老?のおじいさんが、真っ暗な中で写真を撮り続ける私のことが気になったのか、こちらをチラチラと見ていたので、「すみません、お話を聞かせていただけますか?」と訪ねると、「待ってました」とばかりに話をしてくれました。実際、アポ無しで突撃取材する場合は、こういう人の存在は本当にありがたいです。デモ中継でもそうですが、声を掛けるのは割と難しいものです。
以下、このありがたいおじいさんの話。
ホタルは、「ゲンジボタル」という種類で自然発生したもの。近隣の住民や子供たちも普段から、「板谷川をキレイに!」という意識をもっている。ここは特に観光地や商店街ではないので、ホタルがまちの大きな収入源になるわけではない。逆に見物客が増えると交通渋滞や路上駐車の問題、ゴミのポイ捨て等の問題が出てくる。またホタルという生き物はあまり遅い時間には光らないが、それを知らない人は、より暗くなる遅い時間に来たり、構わず騒ぐ若者や車の騒音等の問題もある。でもホタルが飛び交うのは1年で2週間程のことなので、近隣の住民もある程度は寛容な気持ちで、この自然からのささやかなプレゼントを少しでも沢山の人と分かち合いたいと考えている。ホタルの寿命は約10日で、光を放つのは交尾の為である。

実は今回、歌の歌詞にもあるように、「蛍の光~♪窓の雪~♫」と絡め、「光というのは実に尊いもの。明かりのなかった昔は僅かな光でも利用して暮らしていた」という結びを考えていました。
しかし、取材中にある光景に出くわし視点が変わりました。
それは、ホタルの光を妨げる車のヘッドライトでした。親子でホタルを見ていた人が「まぶしいなぁ。ライト消せよ。」と隣で呟いたのです。今夜は場所が場所なので当然だとは思いますが、こんな状況だと人は「明かり」を嫌がるのです。
本来「明かり」というのは人が慣れ親しんだ非常に便利でありがたいものです。例えば、僕らの仕事は今回の取材を含め、車内で機材のセッティングや整理をすることが日常的にありますが、そんな時は、ルームランプのスイッチを押すだけで車内が明るくなり、仕事に入ることができます。自動車のライトは燃料を元にして発電しているのでチョット意味合いが違ってはきますが、世の中の多くの「明かり」は電力会社の発電によって作られ、私たちはそれを買って使っています。
しかし、この夏はいつもの夏とは違います。
大震災を引き金にした福島原発の問題から始まり、日本中で原発運用の是非について議論が起こり、「節電」が叫ばれるようになり、聞かない日はありません。実際に生産工場などでは、木金に操業を停止し、電力消費の少ない土日を稼働日としたり、企業では、サマータイムの導入やエアコンの設定温度を高くするなど、多くの案が出され、また役所等では恒例のクールビズをさら進化させたスーパークールビズの採用、更にはアロハシャツや短パンの着用など、自分としては「ちょっとソレどうなの?」という動きも出てきています。
去る6月11日、震災より3ヶ月という節目でもあり、現状なかなか収束することができない福島原発の状況や、それによる放射性物質の飛散に対して、日本をはじめ世界中で反原発の運動が起こり、多くの人々がデモに参加し、私自身も岐阜と名古屋をハシゴする形で現場取材に出向きました。
デモでは、「反原発」・「脱原発」・「原発廃炉」などの文言やプラカードが飛び交っていましたが、この危機的な状況の中で「反原発」に賛同することと引き換えに一体どれほどの人がこの夏に訪れるであろう電力不足に対して具体的な「節電」という行動に取り組んでいけるのでしょうか。
電力会社のある試算では、「消費電力に対し、発電量が約15%不足する」という具体的な数字が提示されました。15%であれば何とかなりそうな気もしますが、気温により状況は変わるでしょうし、実際に生活の中で15%を絞るとなると、頭で考える以上にかなりの努力が必要になります。更にいえば、15%という導き出された数字について、具体的な根拠はあるのでしょうか?
今回の「節電要請」は、オイルショックがあった1972~73年以来、約40年振り。つまりは、この国が原子力発電に依存し、発展してきたという歴史ともピッタリと合致するのです。きっと今年の夏は、個人レベルで相当の覚悟を持ち「節電」について考え、実行していかなければならない特別な夏になるでしょう。現実に乗り切ることができれば、脱原発に一歩近づけることにもなります。
しかし、乗り切れないとなれば、浜岡をはじめとした多くの原発に再び火を入れる事になるかもしれません。わずかな光ではあるが、周りをほんのりと照らすホタルに「お前達に本当に出来る?」と聞かれているような気がしました。みなさんはどう考えますか?   
ではまた、「いつか どこかで」~ sometime somewhere ~
現地取材 /平成23年6月8日(水) 
記事・撮影/木野村 匡謙
西郷ほたる祭/2011年5月27日(金)~6月12日(日)頃(20~21時) 
駐車場/あり
場所/岐阜市中西郷3丁目付近(東海北陸道岐阜各務原ICから一般道を北西に40分)
問い合わせ先/058-239-2473(西郷公民館内 水と親しむまちづくり推進協議会)
       058-232-7181(岐阜市農林畜産センター)