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南相馬市沿岸部(鹿島地区~原町地区)の津波被害の状況
【放送日時】2011年3月24日(金)午後3時から
【レポート】山路 徹(APF通信社代表)
【同乗者】諸井 威彦さん(南相馬市出身で東京在住の研修医)
【APF Live】http://www.apfnews.com/apf_visible/apf_live/
【UST】http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live
【ハッシュタグ】#apf_live
2011/3/24 18:24
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取材お疲れ様です。
毎年北泉の海水浴場に行ってました。
千葉県からだと常磐道で楢葉町の道の駅で温泉に入りながら
6時間かけて行ってました。
結構な道のりです。道路状況が悪い中現状を伝えに
行っていただいて感謝してます。
行方不明だった子供さんも家族のもとに帰れたようです。
取材ありがとうございます。
鹿島から県外へ避難しているものです。
夏休みは子供と毎日のように行っていた烏が・・・
少し高台だった我が家は無事でしたが、津波の映像を目の当たりにして言葉が出ません。
鹿島。。原町。。相馬。。。新地。。。。
本当に復興できるのか心配になる映像で心が痛みます。
でも自衛隊・消防・警察の方々のお仕事されている姿にただ感謝の気持ちだけが溢れます。
衝撃的ですが、事実を伝えてくださったレポートありがとうございます。
取材ありがとうございました。同じ日に親を迎えに行く目的で南相馬市にいっていました。私もシーサイドパーク周辺の状況が気になり、高平地区から北泉海岸の方へ入ろうとしたのですが、途中で作業をされている車がいらっしゃり断念しました。この映像でどんな状態になっているかがわかりました。実家に戻ると必ず遊びに行っていたあのあたりはすっかり無くなっていたのですね。同じ日駅前通りにも行きましたが、開いてる店がなく、すれ違う車もいない、信じられない光景ばかりでした。早く復興してほしいと願うばかりです。
この度は南福島市を取材していただきまして、ありがとうございました。
実家が南相馬市鹿島区なので、興味深く拝見させていただきました。
話には聞いていましたが、こうして、見事な程に何も無くなった町並みを見ると、言葉がありません。
実家が南海老だった為、35分位からの南海老地区の惨状にはただただ唖然でした。先に烏崎の方が書かれているように、南海老でもあの交差点から海が見えるなんてありえない光景です。あそこから海までは民家がずーっと並んでいたはずですので…。
ただ、自衛隊の方が捜索に当たられていて、少しは安心できました。
南海老に限らず、あの辺りは高齢者も多く多数の行方不明者がいますが、屋内退避になってからは捜索活動も中断と聞いていたので…。
「直ちに健康に影響はない」「自主避難を促すのが望ましい」と言われても、
行方不明の家族を残してあの地を自主的に避難することができない人たちがたくさんいると思います。
放射能の危険がある南相馬には、マスコミは足を踏み入れてくれないようなので、現地の情報(特に動画)は殆ど手に入らず、ただ心配と不安が募っておりましたが、
こうして取材してくださり、映像を公開していただいて
本当にありがとうございました。
はじめまして。
南相馬市の現状を取材していただいて本当にありがとうございます。娘が南相馬市鹿島区の真野小学校に通学しておりました。先生方の迅速な対応のおかげで子供たちは無事でしたが、真野小学校周辺は津波の被害で大変なことになっています。あの日以来、学校は休校でしたが先生方は3月28日から出勤と聞きました。校舎内には車で入ることはできません。校舎敷地内には船が何艘も流されています。でも、新年度の準備などが始まります。いつかは再開に向けてスタートしなくてはいけないと思いますが、原発事故が心配な状況で再開できるのか。学校現場も厳しい状況のようです。
今は、原発の作業員の方々の無事と、原発が落ち着いてくれることを願うばかりです。そして、復興に向けてスタートを切りたいです。長くなってすみません。
初めまして!小学校低学年までこのあたりに住んでいたものです。
以前は、長閑できれいな海水浴場でした。鹿島区の海沿いには
漁師さん達の家が立ち並んでいました。おそらく二階の屋根から
被るように押し流されたと想像できます。荒廃しきった風景に言葉がありません。
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします!
南福島市を取材していただきまして、ありがとうございます。
南福島市鹿島区烏崎、私が生まれ育った所です。
道路から防波堤が見える、ありえません、民家が密集していて
防波堤なんて見えませんでした。
それだけ、建物が流されたと言うことですね。
あの地域は田舎なので、海の家なんてありませんでした。
あの土台は、ガソリンスタンドの物だと思います。
車が入っていった所までは、田んぼが広がっていました、
その先に、民家がたくさんありました、親戚の家も、友達の家も、
そして私の実家も。
実状を知ることができてよかたっです。
ありがとうがざいました。