アメリヤシェルター誤爆

『アメリヤシェルター誤爆』


1991年、湾岸戦争。
米軍は42日間の空爆で約11万回の出撃を行い、
約89万㌧の爆弾を投下しました。
犠牲者の数は11万人といわれています。
なかでも悲惨だったのが2月13日に起きた、
アメリヤシェルターの誤爆です。


米軍は当初、軍の司令センターを攻撃したとしていましたが、
実際は戦争弱者である子供や女性、老人など
約1500人が避難していたシェルターだったのです。
映像は当時の様子をイラク人カメラマンが撮影し、
APF通信社に託したものです。
ノーコメントでご覧ください。



ソマリア内戦 正義という名の虐殺~国連平和執行部隊の実態~

『ソマリア内戦 正義という名の虐殺~国連平和執行部隊の実態~』

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ソマリアは、アフリカの東海岸に面し、海を挟んで北にサウジアラビア、西と南にエチオピアとケニアに隣接した国です。
その地形から"アフリカの角"と呼ばれています。
単一民族のソマリ族が人口の大半を占め、
ほとんどがスンニ派イスラム教徒です。
しかし、単一民族とは言うものの、ソマリアには多くの氏族部族がおり、氏族間、部族間の抗争も絶えませんでした。
1960年にイギリス及びイタリアの植民地支配から独立しましたが、
独裁政権に不満を抱く氏族が反政府組織を結成したため、1988年に内戦が勃発。
その後、暫定政権が樹立されたものの、アイディード将軍派が暫定政権に反発。
国内はアイディード派とモハメド暫定政権大統領との武力抗争に発展し、
首都モガディシオを中心に戦闘が繰り広げられていました。



内戦と干ばつで、人口の半分に当たる約400万人が飢えに苦しみ、
1日に数干人もの死者が出ていました。
そこで、人道援助物資の輸送ルートを確保するという目的で、
国連安全保障理事会が1992年12月、
アメリカを中心とする多国籍軍を派遣したのです。
この多国籍軍の主導権はアメリカ軍にありました。
その後、アメリカ軍は指揮権を国連に引渡し、
第2次国連ソマリア活動が始まります。
これをUNOSOMⅡといいます。ソマリアにおける「平和執行活動」の始まりです。


▼用語解説
PKO
Peace Keeping Operations 平和維持活動。
紛争の拡大防止・休戦協定履行監視・ 選挙監視のため国連加盟国が自発的に提供した要員を
国連が編成し・派遣すること。 非武装の監視団と軽武装の平和維持軍からなる。

PKF
Peace Keeping Forces 国連平和維持軍 平和執行部隊
Peace Enforcement Units 停戦合意が実行されない場合に
その合意を回復・ 維持するために国連加盟国から自発的に提供される部隊。
自衛のための軽装備の 武器使用しか許されない通常の平和維持軍より重装備が許される。

全ビルマ学生民主戦線

『全ビルマ学生民主戦線』

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1988年、民主化を叫び非暴力運動を展開した
ビルマ(ミャンマー)の学生たち。
彼らを待ち受けていたのは、国軍が無差別に発砲した銃弾でした。
犠牲者は数千人を超えたといわれています。
言論が武力で封じ込まれたのです。
多くの仲間を失った学生たちは、隣国タイとの国境地帯へ避難し
ABSDF(=全ビルマ学生民主戦線)を結成、
現在もビルマの軍事政権打倒を叫び闘っています。
取材:1989年、1990年、1995年。




余談:ビルマ(ミャンマー)取材はAPF通信社の原点です。
1989年、山路徹が家庭用小型ビデオカメラで初めて
取材した現場だからです。
当時、テレビ局の技術部門は画質の低さにクレームをつけ、
放送に難色を示しました。
結果的には画質を超える内容があると判断され、
放送することが出来ましたが、今では考えられないことです。