長井 健司(ながい けんじ)

略歴:
1957年8月27日、愛媛県今治市出身
1996年、APF通信社に所属
2007年9月27日、ビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)市内で軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、ビルマ軍兵士の故意による至近距離からの銃撃で死亡した(享年50)


主な作品:
2001年「急増するエイズ孤児 タイ・75000人の子供たち」 NHK「ETV2001」
2001年「アフガニスタン情勢」 フジテレビ「情報プロジェクトS」
2003年「イラク戦争2003 子供たちの叫び」 日本テレビ「ニュースプラス1」
2004年「スクープ!“北朝鮮製”偽100ドル札」 日本テレビ「ニュースプラス1」
2004年「“北朝鮮製”MDMAの実態」 日本テレビ「ニュースプラス1」
2006年「パレスチナ・イスラム原理主義組織ハマスの知られざる実態」 TBS「報道特集」
2007年「ホログラム入り・偽一万円札を独占入手」 TBS「報道特集」

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『もう会えない』 作詞・作曲・歌 長井健司

「誰も行かないところに、誰かが行かねばならない」が口癖だった長井健司記者の夢
それは“歌手デビュー”だった・・

中学時代からギブソンを片手に作詞・作曲も手掛けた
卒業時、長井記者が同級生に宛てた一文にはこんな記述が・・

「人は、声をはりあげ絶叫する時があっていいと思うんです。
人は、気分よくうたっている時がいちばんの自由です」

大学時代のコンサート会場にて
(大学時代のコンサート会場にて)

「俺の曲は絶対に売れる!」
40代半ばを過ぎて尚、歌手デビューを諦めてはいなかった長井記者
本人の最もお気に入りだった自作曲が『もう会えない』

長井記者の直筆の詩
(長井記者の直筆の詩)

『もう会えない』 作詞・作曲・歌 長井健司

ぜひ一度ご視聴ください!

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タイ・エイズ孤児

『タイ・エイズ孤児』
(取材・撮影・編集・ナレーション/長井健司)

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1980年代の発見から世紀を超えて
未だ決め手となる治療方法が見出せない難病エイズ。
日本では厚生労働省のエイズ動向委員会の調査によると、
国内におけるHIV感染者は増加の一途をたどり、
中でも若年層の異性間性的接触による感染の増加が懸念されている。
感染経路は、従来の「同性愛」から「異性間」へと移ってきており、
日常生活への波及が大いに懸念される。
それは、罪もない子供への感染の危機をも意味している。




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今回の取材は、エイズによって親を亡くし、
自らも親からHIV感染した子供たちが暮らす
タイ・チェンマイの施設を訪ねた。
1999年11月に開設した「バーンロムサイ」である。
「死を迎えるホスピスではなく、子供たちが将来、仕事を持ち、
自分自身で生きていけるように育てていく」と
代表の名取美和さん(右写真)は言う。
死を乗り越えて生存を信じて生きている子供たちを追った。


「バーンロムサイ」ホームページ http://www.banromsai.jp/

取材:2000年

イラク戦争 [1]

『イラク戦争~子供たちの叫び~』 
(取材・撮影・編集/長井健司)

バクダット陥落・第1部

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米軍によるバグダッド進攻前、そしてフセイン政権崩壊直後の現地を
APF通信社・長井健司ディレクターの報告。

日本で治療を受けてイラクに帰国した難病の子供におむつを届ける様子や、
戦争で犠牲となった子供たちの爆弾被害についてのリポート。

取材:2003年


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イラク戦争 [2]

『イラク戦争~子供たちの叫び~』

バクダット陥落・第2部

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APF通信社・長井健司ディレクターによるイラクからの現地レポート 第2弾

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イラク戦争 [3]

『イラク戦争~子供たちの叫び~』 

バクダット陥落・第3部

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APF通信社・長井健司ディレクターによるイラクからの現地レポート 第3弾

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家に灯った原爆の火

『家に灯った原爆の火』 
(取材・撮影・編集・ナレーション/長井健司)

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8月6日の投下直後、親戚の安否を尋ね広島の市街地に入り、
地獄絵の中を探し歩いた元日本兵「山本達雄」さん。
叔父を焼き殺し、広島を地獄図と化した原爆の火。
それは恨みの火であったという。
その山本達雄さんが2004年5月、他界した。
長井ディレクターが、山本さんが亡くなる3年前に取材。
山本さんがありのまま語ったその稀有な原爆体験を紹介する。

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